202601/12

Meditation〜めいそうについて〜

新年一番のブログに、瞑想(めいそう)について、書いてみました。文体も、ちょっと今回はかたいし、長いですが、もしご興味がある方はどうぞお読みいただければ幸いです🎵

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瞑想とは、自分と繋がる時間。

そう。よく聞く表現。でも「自分とつながる」とは、なんとぼんやりした表現だろう。自分をととのえる、も同じだ。実際、これを聞いてだれもがストンとふに落ちるわけではないかもしれない。この表現をどっぷりと理解するには、生きることとか、この物理的な体をこえた事ごとの理解がいる。わたし、という存在が、その意識が、どこに本来いるのかについての理解があると、かなり助けになると私は思う。

本当の自分がどこにいるか、という知識があって(それは間違っても、脳、なんて臓器だけにいるのではない)、瞑想なるものをする時、はじめて、その新たな場所にいる本来の私、自分、というものとのつながりができる。そしてそれは時と回数を重ねるごとに、徐々に、またはそのときどきに、深さや質を増していくのだ。

なんだ雲をつかむような話をして、と思う人もいるだろう。もし、こうした話題にやたらとイライラする人は、どうぞページを離れてもらって構わない。よくわからないけれどなんか気になる、という人は、もう少し読み進めてほしい。わかるわかる、という人はお茶でも片手に、気楽に読み流してほしい。

 

私と瞑想とのつき合いは、いつからだったか。下の息子が生まれてからなのは、まちがいない。

 

下の息子は、生まれた時に事故のようなものにあい、重度の障がいをおった。今も寝たきりで医療ケアが必要だ。胃ろうをもち、気管切開をしていて、ちょっとしたコミュニケーションすら難しい。私に、人間っていう生き物の意識は、一体全体、本当のところどこにあるのか、という疑問を生じさせ、その探究の道を歩ませ続けているのは、この息子によるところが大きい。

日々息子によりそい、その表面には出てこない彼の意思をくみ取ろうとする試みは、後から知った事だが一つの瞑想の形だったようで、ならばもう、瞑想歴は15年ということになる。

私は何度も、幼い息子の瞳を見つめ続けた。いま、何が言いたいの?これはどう思う、すき、きらい?

目は、単なる視覚をつかさどるだけの器官ではない。私は心から、そう断言できる。目、瞳は、その存在の本質を表すものだ。じっとみつめていれば、それは言葉でもない何かを伝えてくる。

 

ある時、私は息子の瞳をみつめながら、圧倒的な感覚にのみこまれた。それは、勝手に私の目に涙をあふれさせて、あぁ、愛って、本当にそれだけで涙が出てくるんだ、と思った。ドリカムのLOVE LOVE LOVEの歌詞が頭に流れていた。

そして気づいたら、私はがっつりと、人であれ動物であれ、物理的な体と表面的な言葉をこえてその奥にある、瞳や肌感覚、体感や直感といった、五感以上の感覚をつうじて、まわりと関係を築くようになっていた。アニマルヒーラー修行をしに渡英した時も、国をこえて、やはりこの共通言語が使われているのをしっかりと確かめてきた。

言葉をこえて。おそらく、まだ、今の社会の常識をこえて。この目に見えぬ共通言語、肌感覚や瞳から放射されるものを理解し受け止める力や、もっともっと、いろんな形があるらしい、この手の感覚・意識の世界は、しかし、非常に奥が深い。

 

進めど進めどゴールは見えず(そもそもゴールなど存在しないのだろう)、ただ、日々、自分の感覚が変わっていくのに驚く。本当に、終わりはないのだ。ヒーラーだから、というわけでもなく、すべての生きとし生けるものが、進化と変化を続けるのだ。それこそ、この世界のゆるぎないひとつの真実で、その途中の過程こそ、あえていうならば、私たちが求めるべきゴールなのだろう。

そして、この進化や変化を助け、ときに飛躍的なスピードで伸ばしてくれるもの・・それこそが、私が思う瞑想のひとつの役目なのである。

 

ここで冒頭の話にもどって、で、結局、本当の自分ってどこにいるの?と問いかけてみる。

私の理解するところでは、本当の自分は、(またしてもこんな表現だけど)まちがってもこの肉体的な物体を指すのではない。黒目黒髪でちっぽけな152センチの私だけを、さすのではない。

このボディにのりこむ本当の自分はどっかもっと別のところにあり、そこは残念ながら今の科学の言葉では正確に語ることができない。もしかすると、物理学の一領域である量子の世界などは、素人なのでわからないが、かなり踏み込んできてるかもしれないが。

とにかく、一般的ないまの常識の中に、そこを測る尺度はない。ただ、地域や時代や文化がかわれば、それらは捉えられてきたものでもある。かつてのネイティブアメリカンとか、おそらく、かつての日本とか。「気」という言葉を持つのが、私たちの国なのだ。多くの宗教も、そこを説明しようとしてきた。ただし、宗教とはビジネス(会社)よ、といった美輪明宏さんの言葉を、私は心からリスペクトしている。だから、っていうわけでもないが、ちなみに私は無宗教だ。あえていうなら、ペイガニズムに親近感を覚えるくらい。

 

本当の自分がそのようなモヤっとした世界にいますと言われても・・。って、思うかもしれない。でも、それをモヤっとしてるからって、なかったことにしてしまうのか、あるものとして生きていくのか、ここは個人の選択に委ねられるところで。いま、これらをあるものと捉えるのは、社会的立場からいってヤバい人になっちゃう、と全否定したくば、どうぞご自由にしてください、というしかない。私はというと、実際にいくつかのリアル神秘体験をし、さらに日々、その経験を更新をし続けている者として、このモヤッとした世界は存在する、と言わざるを得ないのだ。

ちなみに、この手の話を恐れることはない。むしろ、まぁ、なんとユニークで唯一無二の体験をできるようになったことかしら・・と、思うのだ。それは、人からときに変な目でみられることの代償としても、あまりあるほどに。世界はがぜん、美しくなった。

 

だからこうして、決して学校で教わらないこの世界の魅力にはまり、そのトリコになっている。

自分がこれからさらに、どんな世界を見て創っていくのかに、胸をときめかせている。その道中に、そして当然だいすきなアニマルヒーラーの仕事にとっても、瞑想は、かかせない。一時的なこの肉体ではない、本来のジブンや私を導くたくさんのガイドのいる場所へ連れて行ってくれる旅、それが、私にとっての瞑想だ。

 

この経験や方法を、もし望む方々がいればすこしでもシェアできたら嬉しいなぁ・・と思い、月に一度、瞑想会を開いている。

よろしければ、ぜひ。